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大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波新書) [歴史関係の本(小説以外)]

 「戦場ではない 地獄だ」というコピーから、スターリングラード市街戦などの凄惨な地獄絵図的エピソードを集めた本かと思ったが、独ソ戦に焦点を絞って政治や経済、思想などの面から「なぜこのような悲惨な戦争になってしまったのか」を考察した本であり、とても分かりやすい本であった。

 第二次世界大戦でドイツがソ連に侵攻した理由について、高校で使っている教科書にはあまり明確に記されていない。もちろん、前提としてナチスが共産主義を敵視していたことはあげられるが、その一方で1939年8月には独ソ不可侵条約を結んでいる。本書では、その背景が明快に記されており、授業で説明がしやすくなった。

 (1) ソ連がドイツに屈服すれば、ソ連を頼みにしているイギリスも屈服するだろうとヒトラーは考えた(12㌻)。
 (2) ルーマニアの油田を守るため、ヒトラーがソ連侵攻の決断を下すよりも先に、軍部が対ソ侵攻の意志を固めていた(18㌻)。(実教出版の教科書『世界史B』と東京書籍の教科書『世界史B』には、「ドイツのバルカン侵略がドイツとソ連の関係を悪化させた」ことに触れている)
 (3) 戦時下であってもドイツ国民に負担をかけずに生活水準を維持するため、占領地から資源や食料、労働力を収奪することを目的とした「収奪戦争」。
 (4) ナチスの世界観にもとづく「劣等人種」の絶滅をめざす「絶滅戦争」。

 (3)と(4)について、ナチスが設置した強制収容所にはダッハウのような強制労働を目的とした収容所と、映画『ショアー』で取り上げられたトレブリンカやヘウムノ、アウシュヴィッツといった絶滅収容所があった。山川出版社の『新世界史』には、「ドイツは国内および占領地でユダヤ人の絶滅とスラヴ人の奴隷化をめざし、彼らを強制収容所で働かせ、約600万人といわれるユダヤ人を虐殺した(ホロコースト)」とある。

 ノルマンディー上陸以後、ドイツ軍は総崩れになったようなイメージだが、実際には頑強に戦い続けた。「負けたら後がない」とわかっていたからである。食うか食われるかの絶対戦争は、大戦終結後も負の遺産を残した。




次に掲げた地図は、第二次世界大戦後にポーランドの国境線の変更やチェコスロヴァキアの独立回復などに伴って、ヨーロッパで生じた大規模な人口移動の主なものを示したものである。ドイツ人のズデーテン地方からの移動を示すものとして正しいものを、次のうちから1つ選べ。(1993年度 センター試験 本試験 世界史 第1問C )
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独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

  • 作者: 大木 毅
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2019/07/20
  • メディア: 新書



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下地ローレンス吉孝『「混血」と「日本人」 ―ハーフ・ダブル・ミックスの社会史―』(青土社) [歴史関係の本(小説以外)]

 外国ルーツのスポーツ選手の活躍や出入国管理法の改定など、最近では日本人と外国人の違いに言及したトピックに事欠かない。一方で日本での国際結婚は30組に1組の割合にのぼり、国内の新生児の50人に1人はいわゆる「ハーフ」であるという。この場合の「ハーフ」は、「どちらか一方の親が外国籍」を意味するが、かつては「混血」とよばれたり、最近では「ダブル」「ミックス」という呼称もある。こうした呼称がどのように意味づけされ、また変化していったのかを社会学的に考察した本である。

 全450㌻となかなかの大著であるが、それぞれの章には小括があり、さらに大きな部にもまとめがあるので理解しやすい。もともと学位論文だということで、序章は理論や研究の枠組みを示している。やや読みづらい部分もあるので、読み飛ばしても差し支えないが、時期区分と位相、人種プロジェクトの概念は理解しておいた方がよいと思われる(序章2-1~2-3)。時期区分と位相は図0-3(36㌻)で分かりやすく示してあるが、初版は表中に気になる誤植がある。

 第Ⅰ部「混血の戦後史」は、戦後を四つの時期に区分し、それぞれの時代を「1.混血児」「2.ハーフ」「3.ダブル」「4.多様なハーフ」という言葉で象徴させる。ここで興味深かったのは、戦後まもなく文部省が出した「混血児対策」と学校現場での対応の記録をまとめた第一章。また、「多文化共生」を目指す施策中には、自分たち「日本人」とは異なる「外国人」という二項対立的な構造を前提にしているとの第三章の5での指摘も興味深い。「外国人」を「日本人以上に日本的」と褒め称えるのは、この二項対立にもとづいているが、この前提に基づけば「ハーフ」とよばれる人々は「日本人」でも「外国人」でもなくなってしまう。ナチスはニュルンベルク法にみられるようにユダヤ人を「血の論理」で区分していたが、歴史的に形成されてきた「日本人」と「外国人」という二項対立の中では、その内容が多様な「ハーフ」の存在は見えにくくなるだろう。
 第Ⅱ部「戦後史から生活史へ」では、「ハーフ」の人々のインタビューに基づいて「日本人」でも「外国人」でもない彼らが日本でどのように生きてきたかが紹介される。『地域から考える世界史』でも書いたことだが、私自身も様々なエピソードや体験を耳にしてきた。こうした差別や偏見にさらされた人たちに対して、「よく耐えたね、頑張ったね」だけで終わらせてはいけないような気がする。

 学校の教室にハーフの子どもがいることは珍しくない。普段私は「外国ルーツの人(子ども)」という呼び方をするが、それは「ハーフ」という言葉を使うことになんとなく抵抗があるからだ。おそらくその言葉に蔑視的なニュアンスを感じるからだと思うが、根拠があるわけではなかった。「ハーフという言葉に、自分はなぜ抵抗があるのか」を考える機会となった。


著者による評論
https://www.nippon.com/ja/currents/d00443/
https://www.nippon.com/ja/currents/d00444/
https://www.refugee.or.jp/fukuzatsu/lawrenceyoshitakashimoji01
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57709



「混血」と「日本人」 ―ハーフ・ダブル・ミックスの社会史―

「混血」と「日本人」 ―ハーフ・ダブル・ミックスの社会史―

  • 作者: 下地ローレンス吉孝
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2018/08/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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玉木俊明『近代ヨーロッパの形成~商人と国家の近代世界システム』(創元社) [歴史関係の本(小説以外)]

 ツィッターに「歴史bot」( https://twitter.com/history_theory/)というアカウントがある。歴史関係の本の一部をそのまま呟くアカウントだが、なかなか面白い。そのツィートで見つけたのがこの本。序章と第一章における研究成果の整理と批判的検討は、読み物としても大変面白い。最初に面白かったのは、ツィッターでも紹介されていた以下の2点(37㌻)。
 ・産業革命は、それまで劣勢であったヨーロッパ経済がアジア経済に追いつき追い越す過程だともいえ、それはエネルギー源を生物由来の有機エネルギーから無機エネルギーへと転換することによって可能となった。
 ・欧米と日本とでは、歴史教育をめぐる状況がかなり異なる。
 
 次にウォーラーステインの世界システム論に関する検討も興味深い。現在ウチの学校で使っている教科書『世界史A』(実教)には、「国際分業体制」というコラムで世界システム論の解説があり、資料集『グローバルワイド最新世界史図説図表』(第一学習社)でも「近代世界システムの形成」という特集ページがあり、(『グローバルワイド』には「妥当性について疑問を呈する意見もある」という記述もあるが)なおウォーラーステインの世界史システム論はなお大きな影響力を持っている。しかし本書によれば、ウォーラーステインの近代世界システム論はヨーロッパではあまり人気がなく、グローバルヒストリアンの中には反ウォーラーステインの論者もいるという。その上でグローバルヒストリーに欠けている従属理論の視点、一方近代世界システム論に欠けている産業革命を考慮しつつ、商人ネットワークによる情報の重要性に対する指摘はなかなか興味深い。

 進学希望者向けの課外授業ならともかく、歴史理論を高校世界史の日常の授業で扱うことはまずない。しかし「大きなストーリー」が頭にあれば、個別具体的な場面を授業で扱うときにも、知らない場合に比べて自分なりに強調したり分かりやすく説明できたりするように感じる。とりわけ第4章には色々と面白い視点が並んでいた。主権国家に税金という視点がはいれば「領土は主権が国民に対して税金を課すことができる範囲」と、主体・対象・範囲で説明することもできる。戦争の重要性にしても然り。教科書的にはウェストファリア条約で主権国家体制が確立したと言われるが、スイスが永世中立国となったことからわかるように、これは戦争を前提とした体制でもある。18世紀にはいって七年戦争などヨーロッパ外での戦争が増えるとともに戦費は増加する一方で、国家財政に占める戦費の割合は増加の一途をたどる。こうした戦争を可能としたのが商人のネットワークを通じた資金の流れであり、また戦争によって国民意識は高まり、フィクションとしての国民国家が形成されていく、と。商人ネットワークの視点があれば、「最も利益を得たのはスペイン人の砂糖プランダーではなく、なぜイギリス商人だったのか」が説明できるような気がする。

 2013年の大阪大学の入試(世界史)と2016年に出された大学入学希望者学力評価テストの問題イメージでは、アンガス・マディソンの『The world economy: a millennial perspective』(邦訳は『経済統計で見る世界経済2000年史』柏書房)所収の統計が示されているが、本書の内容が頭にあれば、生徒にとってより分かりやすい解説ができるのではないだろうか。

 たまたま同時期に読んだのが、江戸川乱歩賞作家である高野史緒氏の『翼竜館の宝石商人』(講談社)。17世紀のアムステルダムを舞台に、「光と影の画家」レンブラントが謎を解く歴史ミステリー。物語の背景は、オランダの商人ネットワークである。おかげでよりよく楽しめた。


近代ヨーロッパの形成:商人と国家の近代世界システム (創元世界史ライブラリー)

近代ヨーロッパの形成:商人と国家の近代世界システム (創元世界史ライブラリー)

  • 作者: 玉木 俊明
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2012/08/21
  • メディア: 単行本



翼竜館の宝石商人

翼竜館の宝石商人

  • 作者: 高野 史緒
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/08/23
  • メディア: 単行本



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長谷川 修一/小澤 実 編著『歴史学者と読む高校世界史: 教科書記述の舞台裏』勁草書房 [歴史関係の本(小説以外)]

 高校で用いられている世界史の教科書を対象に、記述内容と作成プロセスを検討した本である。第Ⅰ部および第Ⅱ部では、古代イスラエル、中世ヨーロッパ、中・東欧、アメリカ合衆国(以上第Ⅰ部)、イスラーム史、日中関係、東南アジア、日本に関する記述(以上第Ⅱ部)を対象に記述内容が批判的に検討されている。視点は様々であり、記述内容の妥当性に対する批判(古代イスラエル)、構成に対する批判(東南アジア)、複数教科書における記述内容の差異や変化(日中関係)、提案(イスラーム史)、整理(日本に関する記述)などがある。これらの内容は「授業で役立つ」というものではないが、それぞれに読んでいて興味深い。とりわけそれぞれの章の「おわりに」は、執筆者の方々のスタンスがよく表れており、高校世界史教員へのメッセージとも言える。

 もう一つ面白かったのが、教科書の記述がなぜ変わらないかという話だ。長谷川修一氏は、第一に内容の大幅な変更を好まない現場の意図に忖度した教科書会社が最低限の記述変更にとどめる傾向が強いこと、第二に学習指導要領の「世界の歴史の大きな枠組みと展開」を理解させることを目的としているため、「ステレオタイプな『出来事』としての理解」が重視されること、第三に厳密な史料批判が行われないまま「『旧約聖書』の本文のみを史料として過去の歴史を再構成する傾向」があったこと、第四に教科書執筆者が「古代イスラエル史」を厳密に研究してこなかったことの四つの複合的要因があるとしている。
 これら四つの要因のうち、三と四は古代イスラエル史固有の問題だが、一つ目と二つ目は他でもあり得る話だろうし、しかも両者には密接な関係があるように思われる。『詳説世界史』の執筆者である東京大学の橋場弦氏によれば、衆愚政という言葉を削除したら現場の教員からクレームが相次いだという[http://todai-umeet.com/article/34727/]。というのも「橋場教授は正しい表現に直したのにすぎないが、現場からすればわかりやすいストーリーが崩されてしまった」からだ。確かに自分自身の授業を考えてみても、因果関係を軸にしたストーリーを展開した方が話しやすい。

 個人的には、第Ⅰ部・第Ⅱ部よりも第Ⅲ部が面白かったが、中でも元教科書調査官の新保良明氏による第10章「世界史教科書と教科書検定制度」と矢部正明氏による第12章「高等学校の現場から見た世界史教科書―教科書採択の実態」は興味深い内容である。第10章は教科書検定とはどのように行われるのか、検定を行う教科書調査官(教科調査官とは異なる)とはどんな人で、どうやったらなれるのかなど興味はつきない。ここでも「おわりに」がリアルだった。よほど腹に据えかねたのだろう。
 「序」にあるように、この本は授業の改善や世界史という科目の在り方に直接「役に立つ」ものではない。であるにせよ、これまで正面から語られることがあまりなかった内容であり、自分自身が当事者であることも相まって、たいへん面白く読むことができた。

1930年度に松山高等学校で出題された世界史の問題はたいへん興味深い。確認できる範囲では、穴埋め問題の初出だとのこと(第11章)。



歴史学者と読む高校世界史: 教科書記述の舞台裏

歴史学者と読む高校世界史: 教科書記述の舞台裏

  • 作者: 長谷川 修一
  • 出版社/メーカー: 勁草書房
  • 発売日: 2018/06/29
  • メディア: 単行本



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吉田 裕『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書) [歴史関係の本(小説以外)]

 アジア・太平洋戦争(この呼称については様々な意見があるが)において、日本軍の兵士が置かれた生活環境から戦争の実態を検証した本(著者の言葉を借りれば、「兵士の目線」を重視し、「兵士の立ち位置」から「死の現場」を再構成する)。内容が極めて興味深く、表現的にも読みやすい。これまでも日本軍の兵士が置かれた厳しい状況については様々な機会に見聞してきたが、この本が便利なのは証言や記録を出典を明らかにした上で一冊にまとめた点にある。さらに、戦場における歯科医療や海没死、装備の劣化など新たな視点を提供してくれた点もあげておきたい。

 以下、本書で興味深かった点。
・日中戦争開戦から終戦まで、満洲を除く中国本土で死亡した日本人の数は、46万5700人
・1941年の開戦から、アジア・太平洋戦争で亡くなった日本人の数は、約310万人
軍人・軍属      約230万人(うち朝鮮半島・台湾出身者 5万人)
   在外一般邦人     約 30万人
   国内で死亡した民間人 約 50万人
・戦没者の多くは、1944年以降に亡くなったと推定される。9割?
・戦死した軍人・軍属のうち餓死者が多い。 藤原彰61%、秦郁彦37%
したがって、戦争末期において、兵の多くは栄養失調の状態であった。
・戦死軍人・軍属のうち海没死は35万8000人と多い。
・米軍の潜水艦作戦は日本に比べて大きな戦果をあげた。
  日本の場合、潜水艦127隻の損失に対して撃沈した艦船は184隻(90万トン)
  これに対して米軍は、潜水艦52隻の損失に対して1314隻(500万2000トン)を撃沈
・艦船が不足していた日本は、恒常的に過積載状態だった。
・日本の輸送船は低速の商船が多く、さらに敵潜水艦の攻撃を避けるため
 ジグザグ航行を行ったため、一層低速となった。
・圧抵傷と水中爆傷
・体当たり攻撃を行う特攻では、機体に装着した爆弾の破壊力は通常より小さくなる。
・硫黄島守備隊の場合、戦死は3割で残り7割のうち自殺が6割くらい。
・戦争末期には兵士の体格が低下し、サイズが小さくて倉庫に眠っていた昔の軍服が使えるようになった。
・当時は一般に販売されていた覚醒剤のヒロポンが、戦場でも多用された。
・物資不足で、鮫皮を使った軍靴が支給された。サメの皮は水を透す。
・軍靴は糸が切れやすい。
・鉄の不足で飯盒も支給されなくなり、孟宗竹を利用した代用飯盒や代用水筒が支給された。
・重い個人装備。インパール作戦のときは40キロくらい。重くて歩けない。


 旧日本軍における飯盒の重要性が説明されていたが、なるほどという感じであった。確かに、第2次世界大戦を題材にした外国映画をみていると、食堂に集まって一列に並び、自分のトレイに入れてもらうシーンをよくみかける。こうした食事が提供できない場合に非常食として携行するレーションも、米軍は充実していたようだ。

第二次大戦中の米軍戦闘糧食
http://10.pro.tok2.com/~phototec/ww2.htm

 一方で、兵士一人一人が飯盒を携行するような自給自足的な補給方針も、様々な問題を生じたと思われる(本書96~98㌻)。



日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 (中公新書)

日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 (中公新書)

  • 作者: 吉田 裕
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/12/20
  • メディア: 新書



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佐藤卓己『キングの時代』(岩波書店) [歴史関係の本(小説以外)]

 山川の『歴史と地理』(2017年5月号、No.704)で目にした第一次世界大戦の授業のレポートを読み、本村靖二『第一次世界大戦』(ちくま新書)を購入した[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2017-06-29]。同書のまえがきでは、第一次世界大戦に対する捉え方が日本と西欧諸国ではかなり異なることが指摘されている。この指摘には既視感を感じていたものの、なかなか思い出せずにいたのだが、ようやく見つけることができた。同じく『歴史と地理』の2003年5月号(No.564)に掲載されている木村靖二先生による「新課程版『詳説世界史』の執筆を振り返って」である。

 ....しかし、第一次世界大戦を現代の起点とするのは、それがなにもヨーロッパ近代に大きな衝撃をあたえ、大戦前との断絶をもたらしたという狭い意味からだけではない。大戦期は現代福祉国家の原点であり、帝国を一掃して国民国家モデルを国際社会の基本単位とする契機になり、さらに現代大衆文化を産みだし、アジアなどでの民族運動・独立運動を本格的に台頭させた。また国際関係の次元でみても、国際連盟という新たな国際調整機関を成立させ、ヨーロッパ一局構造からアメリカ・ソ連の三元構造への移行をうながしている。要するに、大戦期が現代世界、現代国家の基本的仕組みや枠組みをつくり出すうえで、決定的役割を果たしたことが重要なのであって、そこに注目すれば、1914年に現代への転換点を設定するのは十分根拠があると考えた。

 さらに以下のような文章が続いている。

 なお、日本史では現代の始まりを第二次世界大戦後においていて、日本史と西洋史の現代の時期区分の違いはあいかわらず続いているが、最近これに一石を投じる意欲的な研究が出された(佐藤卓己『キングの時代』岩波書店 2002年)。参考にして欲しい。

 佐藤卓己先生の『キングの時代』は400ページを超える大著で、なかなか読み進まなかったが、内容はかなり面白かった。高校の日本史では、大正から昭和初期にかけての大衆文化の項目で創刊号の表紙の写真が掲載されている雑誌『キング』だが、その内容についてはほとんど知らなかったため、「なるほど、こういう雑誌なのか」と初めて知ることができた。女性や子どもを含む大衆の講談社文化と知的エリートの岩波文化という捉え方は面白かったが、著者はこれを再検討したうえで、『キング』のメディアミックス的性格を指摘する。知識人からは攻撃されながらも、「何でもあり」なラジオ的雑誌がトーキー化することで、劇場型による大衆の動員に成功したという流れだと個人的には理解した。大衆の動員という点で思い出したのは、井野瀬久美恵先生の『大英帝国はミュージック・ホールから』(朝日選書)[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2008-04-04]。イギリスではロシア=トルコ戦争や南ア戦争を契機に、ミュージックホールで流れた歌の歌詞を通じて、本国と植民地をつなぐ「大英帝国意識」が形成されていった。娯楽を通じた劇場型による大衆動員という点で、共通点を感じる。

 内容が面白すぎて、木村先生の指摘を確認することが後回しになってしまったが、本書の冒頭で、佐藤先生は木村先生と同じような指摘をしている(第一章第二節)。第一世界大戦後に日本でも現れた大衆を「国民化」し、国民的公共圏をつくりあげていったのが『キング』という図式である(本書18ページの図)。

 ある歴史系授業の研究会で 、著者の佐藤先生とご一緒させていただいたことがある。そのときに私は自分の授業[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2017-09-23]を紹介したうえで 、「『歴史総合』の授業として考えると、戦争がテーマの授業であれば第二次世界大戦よりも第一次世界大戦をとりあげてみたい」と締めくくった。その理由は、一橋大1989年の入試問題「第一次世界大戦の前と後で、日本を取り巻く国際環境はどう変化したか」が頭にあり、「日本史でも世界史でもやれそうだ」と感じたからである。これに対して佐藤先生からは「第一次世界大戦をきっかけに世界は大きく変わったので、授業で取り上げる価値は大きい」とアドバイスを受けたのだが、出席していた日本史の先生方(高校)は、第二次世界大戦の方が適切だろうという意見が大半であった。佐藤先生からは、電気やラジオの普及率を調べると面白い情報が得られるのではないかというアドバイスをいただいたのだが、この本を読んでいればそのときもっと質問が出来たと思う。返す返すも残念だ。


『キング』の時代―国民大衆雑誌の公共性

『キング』の時代―国民大衆雑誌の公共性

  • 作者: 佐藤 卓己
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/09/25
  • メディア: ハードカバー



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「世界史」をどう語るか~『思想』3月号(岩波書店)より [歴史関係の本(小説以外)]

 岩波書店の『思想』3月号(No.1127)の特集は「<世界史>をいかに語るか-グローバル時代の歴史像-」。『思想』ではかつて2002年5月号でグローバル・ヒストリーの特集が組まれたが、そのときの特集は難解で、正直自分にはあまり理解できなかった。

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 今号の特集では、小川幸司・成田龍一・長谷川貴彦の3名の先生による鼎談「「世界史」をどう語るか」が注目。小川先生は、大著『世界史との対話』(地歴社)の著者であり、私が尊敬する先生の一人である。この鼎談で印象に残ったのは2点で、1点目は成田先生による『世界史との対話』の解題。『世界史との対話』は何度となく読んできた本だが、成田先生の解題を読み、なるほどこういう読み方もあるのかと興味深く拝読。そしてもう1点は、小川先生の「グローバル・ヒストリーのように歴史像が大きくなればなるほど、読み手は受け身となり、歴史と自己が離れてしまう逆説がおこる」という指摘。
 グローバル・ヒストリーについて、「世界の歴史を(ヨーロッパ中心史観に基づかないで)、国民国家の歴史の寄木細工として見るのではなく、ローカル→ナショナル→リージョナル→グローバルと視点を大きくして、特に人・モノ・金・情報・病気など諸地域を結びつける紐帯に注目していこうとする見方」というのが私の理解であった。例えば茶や砂糖といったモノを題材とすることで、生徒は「身近なモノにも歴史あり」と実感できると考えてきた(私がこうしたイメージを持ったのは、大阪大学出版会から出ている『歴史学のフロンティア』、特に第四章「イギリス帝国とヘゲモニー」を読んでからだと思う→『イギリス帝国の歴史』中公新書)。世界史の教科書を見ても、国家の枠組みに拘りすぎるべきではないという考えは一定のコンセンサスを得ていると思う(例えば東京書籍の『世界史A』世A301にある特集「国家と民族」など)。
 その一方でグローバル・ヒストリー全体に感じてきたのは、いいようのない不安定さでもある。帰属意識の危機、とでも言おうか、自分という主体と切り結ぶことができない大きな話は、相手の心に響かないのでは?という不安感である。ではどうすれば、場所も時代も違う話を自分の問題として受け止めることができるのか。そのヒントの一つは、成田先生が最後で指摘している、「いのち」という視点かもしれない。例えば今年の東大世界史第一問でも、「では日本の女性参政権はどうだったのか?君たちの祖母、曾祖母の時代は?」という問いにつなげれば、十分グローバル・ヒストリーたり得る。これから世界史を語るには、「今、ここから」という視点が不可欠だと思われる。「歴史総合」が成功するか否かは、この視点にあるのではないだろうか。
 先日、鹿児島大学文系後期(2016年度)の小論文の添削指導を行っていて、興味深い文章に出会った。課題文は入江 昭氏の『歴史家が見る現代世界』(講談社、2014)で、国際関係を国家を単位で捉えることに警鐘を鳴らし、これまで国同士の対立を助長する傾向があったナショナリズムを、人類共通の諸問題の解決に積極的に関わり、結びつけるようなナショナリズムに転換していくべきことを述べている。明らかにグローバル・ヒストリーの視点を意識した文章で、入江昭氏については本号でも岡本充弘氏が「グローバル・ヒストリーの可能性と問題点――大きな歴史のあり方」の中で触れているが、(32㌻)、岡本氏が本号の別の箇所(「思想の言葉」)で、ナショナリズムのマイナス面を強調してるのは興味深い(入江昭氏については、秋田茂先生も前述の「イギリス帝国とヘゲモニー」で触れている)。
 岡本氏の論考や、岸本美緒氏の「グローバル・ヒストリー論と「カリフォルニア学派」」を読んで感じるのは、グローバル・ヒストリーに対し「反対ではないが、少し整理が必要では」という問題意識であった。高校で世界史を担当する我々も、グローバル・ヒストリー礼賛に終わらず、ツールとして使うまでの工夫が必要なのかもしれない。

 私が書いた文が収録されている『地域から考える世界史』(勉誠出版)との関連では、小川先生が紹介している「下からの」グローバル・ヒストリーの可能性(リン・ハントによる)が興味深い。とはいえ、ローカルとグローバルのつながりといえば聞こえはいいが、一方で他の地域の人にとっては重要な問題とはならないかもしれない。このことに関しては、成田先生が述べている「メタ通史」の考えが参考になる。

 歴史学の成果を歴史教育にどう生かしていくのか。かつて『世界史をどう教えるか』(山川出版社)という本を手の取ったが[http://zep.blog.so-net.ne.jp/2008-06-15]、私の関心からは少し外れていた。言い換えれば、歴史学と歴史教育はどのような関係にあるべきなのか、というのが私の関心事の一つであり、この点でもこの鼎談は興味深かった。

 先日恩師の退官記念最終講義に出席してきたが、次のように語っていた。
「歴史学には、英国史も日本史もない。あるのは歴史だけだ。ある時期から私はそう語るようになりました。歴史学は、史料の解釈学です。なるほど、史料には地域性があります。しかし、ほとんどのものは、近代に至るまで現代的意味での国境がないのです。歴史家は、とくに海外の歴史を専門とする歴史家は、「帰属意識の危機」を胸に秘めつつ、国境を越えたフラタニティ(兄弟団)を作り、せっかく生き残ってくれた史料を、「死者の声」を、誰もが接近できる共有の「世界遺産」として、必ずしも同じ関係でというわけではないが、共同作業的に解釈を行い、いろいろな言葉で、いろいろな場所で物語っていくべきでしょう。これが私の考える「グローバル・ヒストリー」です。「グローバル・ヒストリー」は、方法論の問題ではありません。それは歴史学者の仕事です。しかし歴史家にとっては、それは態度、あるいは立ち位置、あるいは「考察様式」の問題なのです。」
「史料を残した過去の人々、亡くなった人々は、われわれの解釈を批判し、抗弁できない。だから歴史学は、全身全霊をこめて、自分と過去と現在を疑う批判の徒でなければならないのです。しかし、歴史学は同時に、主知主義的で、観察者の内在的な、心からの「問題」関心を無視した、研究史上のお仕着せの問題意識を解決することも使命としています。歴史学者とはそういうものです。それは否定しない。しかし、わたしは、学界という制度の、いわば研究常識と権威にとらわれず、「自分の頭と足で、問題を発掘する」歴史家(Antiquary)に憧れています。そして残りの人生をかけて、そういう歴史家になれたら本望です。」

 歴史教育に携わる者は、歴史学者による歴史学の成果を尊重しつつ、恩師の言う「歴史家」たるべきなのかもしれない。最終講義では「多様な過去の「世界」に対峙できない者は、未来を見ることはできない」というミヒャエル・エンデの『モモ』の一節が紹介されたが、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」というドイツの故ヴァイツゼッカー大統領の有名な演説を思い出す。学部生の頃、教養部のT先生の授業で講読した演説(今年の大阪大学の問題(文学部)で使用された演説は、このとき(1985年5月8日)のものではない)。「過去と真摯に向き合えない人は、現在も未来も見通すことができない、それはなぜ?」という問いに対する答えを、生徒たちがそれぞれに見つけることが出来るような授業、私にはそれができるのだろうか。

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小田中直樹・帆刈浩之編『世界史 / いま、ここから』(山川出版社) [歴史関係の本(小説以外)]

 山川の『歴史と地理』No.708の書評を見て購入。高校世界史レベルの教養を広く一般向けに広げるために書かれた本である。雑誌『日経ビジネス』2013年2月号に、ビジネスパーソンの多くが歴史の知識を「身につけるべき教養」としてあげているという記事があったが、佐藤優氏も「基礎知識を身につける最高の本は、じつは高校の教科書と学習参考書」(『読書の技法』)と言っていた。
 本書が高校の世界史教科書と一線を画すのは、時代区分であり、以下の5つの時代で区分され、通史として叙述されている。
 1章 西アジアの時代(有史~6世紀前後)
 2章 東アジアの時代(6世紀~15世紀)
 3章 世界史の一体化の時代(15世紀~18世紀)
 4章 欧米の時代(18世紀~19世紀)
 5章 破局の時代(20世紀~今日)
 いずれの章も人・モノ・情報の移動、宗教、科学技術と環境 の3つの視点から叙述されており、2002年以降に東大世界史で出題されてきた各問題を思い出す。この3つの視点は、現代社会が直面している諸問題であり、世界の各地で起こっている対立の原因になっているため、「いま、ここから」考える上で現在的な視点だと思われる。教科書でおなじみの人名はあまり出てこないが、一方で映画、食物、地名など教科書には登場しないが心に残る記述が所々にあり、筆者陣の思いや趣味が見えるようで楽しく、またハッとさせられる。
 固有名詞を並べ立てて難しい説明をする本ではないが、内容は高水準という好著で、気がつけばここ数年間同じ授業を続けているような自分には実に刺激的な内容であった。大学入試にウェイトを置いた指導を続けていると、ともすれば大きな流れを見失いがちになってしまうが、そういった時にもよき指針となるように思える。編者の小田中先生はご自身のブログで「もともとは高等学校世界史B教科書『新世界史』のスピンオフ企画」と述べておられるので、本書で大きな流れを体感し、その後で高校の世界史教科書を読んでみると理解が深まるだろう。
 『歴史と地理』の書評で「終章から読むのもお勧め」とあったので、終章から読んでみた。歴史は役に立つのかという問題意識、また現在の歴史教育に対する問題意識は、小田中先生がこれまで発表してきた著書(『歴史学って何だ?』や『世界史の教室から』など)から続いているものだ。中でも私が印象に残ったのは、現在のグローバル化は国民国家の存在を前提として進められた非グローバル化にストップがかかった状態であるという指摘だった。私が『地域から考える世界史』に書いたことに少なからず通じる点であり、私が熊本で考えたことが「いま、ここから」の世界史であったことを誇らしく感じている。

 もっとも心に残ったのは、わたしたちにとっての教養を「「わたしたち」の常識を疑う力」と定義してみよう」という言葉であった。




世界史/いま、ここから

世界史/いま、ここから

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2017/04/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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桃木至朗 監修/藤村泰夫・岩下哲典 編『地域から考える世界史~日本と世界を結ぶ』 [歴史関係の本(小説以外)]

 高校の世界史は、「何でもあり」である。文化史では理系の学問も扱うので、理系の知識があるに越したことはない。「17~18世紀のヨーロッパ文化」の項目で、気体力学のボイルという科学者の名が出てくる。十数年前、愛媛県の伊方原発の見学に行った際、途中立ち寄った(たぶん)道の駅で不思議な水槽を見た。水槽本体からお椀を半分に切った形状の飛び出しがあり、魚が泳いでいる。魚に触れようと思えば、触れることができる。ところが蓋ははないのにその部分から水が溢れてこない。なぜ?と私が首をひねっていると、ある先生が「ボイルの法則」で空気の圧力が蓋代わりになっていることを教えてくれた。それ以来、授業ではこのエピソードでボイルの法則を説明している。

 自分が書いた文章が掲載されている本で恐縮だが、高校世界史の「何でもあり」感を、いい意味で示しているのがこの本だと自負している。貧困や自然災害といった現代社会が直面している問題から、「こんな授業をやってみた」という実践まで内容は多岐にわたるが、いずれも「いま自分が住んでいる身近な空間と、世界史のつながりを考察することで、多文化共生社会を実現したい」という共通意識は読者の方々に伝わると感じている。特に第3章の4論考は、教科としての世界史が直面してる諸課題を明快に示している。執筆陣は大先輩から私よりも10歳以上若い先生まで幅広いが、それぞれに示唆に富む内容だ。中でも柳原伸洋先生の「インターネット時代の世界史」は、われわれ世界史教師がインターネットとどう向き合うかという問題を提起しており、実に興味深い。先日も国語の先生が、ネットから拾ってきた古典の訳を書いて提出した生徒を怒鳴りつけていたが、正直私はその生徒に感心したものである。また篠塚明彦先生の「世界史未履修問題に見る世界史教育の現実」は、大学や大学院で開発された授業が、実際の現場ではほとんど関心を持たれていないのはなぜか?という問いに答える論考。先日ある首都圏の大学の歴史の先生からは、「前近代しか習っていないという学生は多い」という話を聞いた。世界史Aの看板で、世界史Bをやってる学校はまだまだ多いようだ。「のど元過ぎれば云々」の現状と背景もよく示されている。
 大規模校でも世界史担当の教員は2人程度だと思われる。なかなか授業や教科教育について語り合う機会はないだろう。原田智仁先生は本書で「世界史は滅亡前のオスマン帝国のような瀕死の病人」と表現しているが、確かに高校世界史はとくに進学校(最近は「自称進学校」という不愉快な言葉を教師自ら使っているが)で不良債権化しつつある。そうした状況下で、何のために世界史の授業をやるのかを再考する機会として、本書を読み込んでいきたい。


 
【目次】
監修者はしがき 桃木至朗
序言 藤村泰夫
【特別寄稿】グローバル社会に求められる世界史 出口治明

第1章 中高生による地域再発見
・ダブルプリズナーの記憶―生徒に受け継がれる「思考の連鎖」― 野村泰介
・戦争遺跡・亀島山地下工場の掘りおこし―「地域」と「民族」の発見― 難波達興
・アフガニスタンから山口へ―尾崎三雄氏の事例から― 鈴木均
・「山口から考える中東・イスラーム」高校生プロジェクト 磯部賢治
・「青少年近代史セミナ-」の意義―世界史をどこまで実感するか― 川上哲正
・地域の歴史から日中交流へ―熊本県荒尾市における宮崎滔天兄弟顕彰事業の取組― 山田雄三・山田良介

第2章 多様な地域と多様な「教室」
・日本海は地中海か?―網野善彦から託された海がつなぐ歴史・文化の学び― 竹田和夫
・ムスリムに貼られた「レッテル」の再考―東京ジャーミイを事例として― 松本高明
・ALTを通して学ぶ世界史 百々稔
・日米双方の教科書を用いて学ぶ戦後史―アメラジアンの子どもたちとともに― 北上田・源世界遺産から考える地域と世界史 祐岡武志
・博物館と歴史研究をつなぐ 赤澤明
・地域における歴史的観光資源の開発と活用―観光系大学学部ゼミナールでの教育実践からの考察― 岩下哲典

第3章 世界史教育の現在と未来
・二一世紀の世界史学習の在り方―自主的な世界史像の形成をめざして― 二谷貞夫
・世界史未履修問題に見る世界史教育の現実 篠塚明彦
・社会知・実践知としての世界史をもとめて 原田智仁
・インターネット時代の世界史―その問題性と可能性― 柳原伸洋

第4章 地域から多文化共生社会を考える
・多文化共生社会をつくる―「地域から世界が見える」― 三浦知人
・地域における多文化共生と世界史教育―熊本県における事例から― 平井英徳
・塾「寺子屋」の可能性―横浜華僑華人子弟の教育― 符順和
・在日外国人生徒交流会の成果と課題 吉水公一

第5章 現代社会が抱える問題に向き合う
・地元志向と歴史感覚―内閉化に抗う歴史教育― 土井隆義
・世界史のなかの貧困問題―「貧困の語り」をとらえる 中西新太郎
・日本人の聖地伊勢神宮から考える世界史―自然と歴史の相関関係 深草正博
・災害と人類の歴史 平川新
・ヒロシマ・ナガサキからイラク・フクシマへ―核の脅威を考える― 井ノ口貴史

終論 桜井祥行
あとがき 原田智仁




地域から考える世界史―日本と世界を結ぶ

地域から考える世界史―日本と世界を結ぶ

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 勉誠出版
  • 発売日: 2017/10/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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茂木誠『経済は世界史から学べ!』(ダイヤモンド社) [歴史関係の本(小説以外)]

 高校で世界史の授業を担当してると、経済の知識もけっこう必要になってくる。また経済関係のことを授業で話すとき、自分の頭の中ではわかっていても、いざ授業で説明しようとすると、わかりやすく説明でないということも珍しくない。出来る限り、わかりやすい「たとえ」を使って話すようにしているが(ブロック経済はなぜメリットがあるのか、など)、過去の事例を現在の世界経済にたとえて話したりすれば、理解が深まることも多い。そのため、一般向けの経済の入門書的な本を読んでおくと役に立つが、手ごろな本は意外と見つからないものである。
 この本は、一般向けの経済入門書ながら執筆者は駿台予備校で世界史を担当している茂木誠先生。したがって、世界史的な切り口が多く、また表現も平易なので大変わかりやすい。
 「なぜ1万円札には「1万円の価値」があるのか」「なぜ政府ではなく中央銀行がお金をつくっているのか」という発問は普通に使えそうだし、ナポレオン戦争とアヘン戦争ともにイギリスが勝者であったことを取り上げ、「グローバリズムは経済的強者に恩恵をもたらす」という話も使えそうである。穀物法&ジャガイモ飢饉とTPPとの比較も然り。迫害された民族は、財産を持っていつでも逃げられるように金融業者が多いとか、なるほどとと感じる。かつて中央公論社『日本の歴史』で紹介されていた、日露戦争の際にユダヤ系資本が日本の戦債を引き受けた話も、さらにウラのエピソードが紹介されていてちょっとビックリ。世界史授業のネタ本としてけっこう使える。



経済は世界史から学べ!

経済は世界史から学べ!

  • 作者: 茂木 誠
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2013/11/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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