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稲垣佳世子・波多野誼余夫『人はいかに学ぶか―日常的認知の世界 』 (中公新書) [その他]

 学校現場では、勤務する学校の社会的評価によってその教師の評価も決まってしまうということがしばしば見られる。その背景として、教育現場では伝統的な学習観、すなわち「学び手はもともと受動的であり、有能ではないのだから、よい教え手が必要」で、「知識は伝達されるものであり、良い教師が行うべきことは、できる限りたくさんの知識を伝達することである」という考えが支配的であることがあげられよう。有能な生徒には有能な教師が必要、というわけだ。『月刊中学向山型社会』という教育雑誌の2005年11月号には「生徒の100倍の知識を持っていないと授業にならない」というタイトルの文が掲載されていたそうだが、このタイトルは、現在の教育現場では伝統的な学習観が支配的であることを示しているのではないか?

 しかし、こうした伝統的な学習観がもはや通用しないことを実感している世界史の教師は少なくあるまい。教師の博識が生徒の負担となり、さらに世界史の授業に対する学び手の意欲と能動性の低下については、「生徒のニーズに応えた」結果起こった「世界史未履修問題」がはっきりと示している。

 この本が示しているのは、こうした伝統的な学習観の打破である。つまり学び手は、実は有能であり、知識は伝達されなくても構成されることが可能、ということである。では学び手はどうのような場合に有能にかつ能動的に学ぶことができるのだろうか。まずあげられるのは、現実的に必要な場合である。いわゆる「必要は発明の母」ということだが、これに関してはどうも世界史の授業は他の教科・科目にくらべれば分が悪いような気がする。別に世界史の知識などなくても生活には困らないからだ。ではどうすればいいかというと、「知的好奇心により学ぶ」という方法が考えられる(第3章)。ただこの場合留意しなければならないのは、知的好奇心にもとづく学び手の能動性は、外側からせき立てられない限りにおいて発揮されるということだ。つまり心的な余裕が必要という点である。

 「知識が構成される」とは「参加しつつ学ぶ」(第7章)ということで、討論や話し合いによる仲間同士のやりとりが、知的好奇心を高め、より深く理解するのを助けるということである。ただこの場合、知識量に差がある者同士でおこなうやりとりよりも、同輩同士のやりとりのほうが知的好奇心が高まりやすいという点は興味深い。こうした考え方は一般化しているようで、高垣マユミ(編著)『授業デザインの最前線』(北大路書房)では、「社会的相互作用」にもとづく学習過程として説明されている。

 もちろん、知識がなければ思考はできないから、「知識があるほど学びやすい」(第7章)し、意図的におしえなければ身につかない知識がある以上、我々教師の役割が大きく変化するものではなかろう。それに「有能で能動的な学び手」が常に正しい答えにたどりつくとは限らないから、われわれ教師の役割は増えこそすれ、減少することはないだろう。

 すぐに授業に活かすことができる本、というわけではないが、読んでみると授業や生徒に対する見方や考え方がこれまでとは少し違ってくるかもしれない。



人はいかに学ぶか―日常的認知の世界 (中公新書)

人はいかに学ぶか―日常的認知の世界 (中公新書)

  • 作者: 稲垣 佳世子
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1989/01
  • メディア: -



授業デザインの最前線―理論と実践をつなぐ知のコラボレーション

授業デザインの最前線―理論と実践をつなぐ知のコラボレーション

  • 作者: 高垣 マユミ
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本



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コメント 4

ぴーたろー

くじ引きに来ましたヨン
by ぴーたろー (2008-08-12 10:05) 

zep

どんどん引いてくださいネ。
by zep (2008-08-12 18:32) 

nightmareskunk

小生、高校時代(1980~83年に高校生だった「共通一次世代」で「世界史必修制」の時代ではなかった)、世界史だけが極端に成績が悪く、大の苦手(苦痛)でした(試験では赤点だらけで何度か学年最下位も経験、世界史の授業時間に気分が悪くなり「保健室登校」に陥ったこともある=他の科目ではこのようなことは一切なかった=。世界史担当の教諭は他の生徒からは好評だったそうだが、小生は顔を見るのもイヤだった)。
小生には大学院終了の学歴がありますが、現在の「世界史必修制」においては最終学歴が「高校中退」(高校卒業不許可)になっていたかも知れませんので、「世界史必修制」には強く異を唱えたくなります(「世界史必修制」の決定時、小生はこのニュースを聞いていたラジオを床に叩き付けて壊した)。
by nightmareskunk (2008-12-17 22:01) 

zep

数学が嫌いな人もひれば、英語が嫌いな人もいるので、世界史が嫌いな人がいても不思議ではありません。
by zep (2008-12-20 06:33) 

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